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ジェームズアレン 思考が人間の一生を決定づける As A Man Thinketh (1/5)

ジェームズアレンの朗読CD(全文収録)はこちらです。より詳しく学びたい方はぜひどうぞ!

訳 田中博崇 監訳 株式会社インターナル

  

本巻は、これまでの瞑想と経験から得たものをこの薄いページ間に詰めたものであり、思考の力についてを評するような完成された学術論文ではない。よって事を説明しているというよりは、むしろ何かのヒントを与えるようなもので、

“自身を築きあげるのは、まさに人、人自身である。”

という真実を皆が見いだし認識できるように鼓舞することを目的としている。

そこには、思考が存在し、人自身が選んでそれを支えていく。心とは、人格という名の内なる衣とそれを覆う環境という名の外なる衣の双方を織り成す主である。たとえこれまで無知と苦痛の間を縫うように進んできていたとしても、これからは悟りと幸せのもとで活動していくであろう。

ジェームス アレン

ブロード パーク アベニュー
イルフラクーム
イングランド

思考と人格

「人は、心で思っているままの人間になる」という格言は、人間の存在を説いているだけでなく、その人の置かれている状況、とりまく環境全てにまで及んでいる。人間とはまさに、思考めぐらすものであり、人格とはその思考がより集まったものである。

植物が種から芽を出し、その種なくしては芽が出ないのと同じように、人の行動もまた、目には見えない思考の種から生まれ、思考の種なくしては表には出てこないのである。これは、“無意識的”やら“自発的”と呼ばれる行動から意図的な行動にまで同じように当てはまる。

行動とは思考からはじけた花であり、喜びや苦悩はその果実である。このようにして人は、時に甘く、時に苦味のある自分自身の果実を収穫するのである。

我々を創造したのは心の中の思考であり
今日の我々を鍛え築きあげたのは、そう、思考である
もし人の心に邪心があれば
雄牛が車輪に迫られるように、人にも痛みが押し寄せてくるのだ

もし純粋な思考を持ち続ければ
きっと喜びが後をついてくる。自身の影のように

人とは、原理によって成長する生物であり、技がもたらす創造物ではない。そして原因と結果の関係は、目に映すことのできる物質世界と同じように、目には見えない思考界においても絶対的かつ一貫したものである。気品高く神のような人格は、恩恵でもなければ偶然手にするものでもない。それは、長きにわたり正しい思考を持ち続けた努力による当然の結果なのである。神聖な思考との長年の結びつきによってもたらされるのだ。一方、下品で知性に欠けた人格は、同じ過程で、卑しい思考を心に抱き続けた結果である。

人を築き上げるのも逆に破壊するのも、それは人自身である。思考という鍛錬工場で人は、自分自身を滅ぼす兵器を創り出す。同時に人は自分のために、喜びや強さそして平和に満ちた無上の館をつくる道具も造るのだ。思考を正しく選び忠実にそれを実践することで、人は聖なる極地まで上り詰めることができるのだ。反対に思考を悪用したり、正しく実践できなければ、野獣の域以下にまで落ちぶれるはめとなってしまう。これら両極端の狭間に全ての人格の品位が顔を揃え、人はこれら人格の造り手でもあり、同時にその主でもあるのだ。

この時代によみがえってきた魂に関係する全ての素晴らしい真実のうち、これほど喜ばしく又は実りある神聖な約束や誓約はない。それはつまり、人は、思考の主、使い手であり、人格の作り手でもある。そして状況、環境、運命を自ら生み出し形づける存在だということである。

力、知力、愛としての存在、そして自分自身の思考の主として、人は全ての状況に対処する鍵を握っており、自分を好きなように作り挙げる際に用いる変幻自在のその媒体を自身の内に持っているのだ。

人は、状態が悪い時であっても、この上なく見放された状態にあったとしても、常に主なのである。でも、そのような状況下では、家庭の仕切り方を誤った愚かな主となる。置かれた状況を見つめ、自分の土台である原理を熱心に探し始めた時、人はようやくそこで賢い主となり、知力をもってして自身のエネルギーを導き、実りある出来事に思考をとけこませていくであろう。人は自分自身の内にある思考の原理を見いだして初めてこのような意識をもった主になれるのだ。そしてそれは結局、実践、自己分析、そして経験を経て見いだすことができるのである。

金とダイヤモンドは、大変な量の調査と採掘作業が伴わなければ手にすることはできない。人もまた、自分の魂の鉱山を深くまで掘り下げて行くことで、自分の存在につながる全ての真実を見つけ出すことが出来るのだ。自身の思考を見つめ、コントロールし、改めながら、自分自身や他人そして自身の人生や環境にどういう風に影響しているのかについての手がかりを求め、一方で忍耐強い実践と調査を通して原因と結果の因果関係を結びつけ、日常の出来事のようなとても些細なことであったとしても、その全ての経験を、己を知るため、つまりは理解・知恵・力を得る手段として有効に活用していれば、人というものが自身の人格を生み出し、人生を形付け、運命を築きあげていく存在であることを寸分の狂いもなく証明してくれるであろう。この方向でのみ、「探せ、そうすれば見いだすであろう」「扉を叩け、そうすれば、開けてもらえるであろう」の言葉が絶対的な原理となるのである。忍耐、実践、そして、ひつこい粘りがあってこそ、人は知識の殿堂の扉を開くことができるのである。